ポニョった。

日曜日にDVDで『崖の上のポニョ』を鑑賞。
軽い気持ちで見始めたのに、鑑賞後にはなんだか知恵熱が出そうだった……。

観ながら&観た後にいろいろ考えたことを、深夜のハイテンションで補強しながら、独断と偏見を全開にして書き殴ります。ネタバレありです。

ファンタジーとリアリティ

『ポニョ』の作品世界は、例えば『となりのトトロ』よりもずっとファンタジーの度合いが高いんだよね。

トトロはサツキやメイの前にだけ姿を見せてダイナミックなことをして見せるけど、大人達の視点から見れば、彼らの存在はとてもさりげない。
夜中に種をぐわーっと大木に成長させたりしたけど、翌朝お父さんが見ることができるのは、「珍しく早く発芽している木の芽」程度のものでしかない。トトロを仮に空想上の存在だと解釈しても、まあなんとか辻褄を合わせられそうな感じだった、確か。

でも『ポニョ』では、ポニョが乗ってきた津波に大勢の大人達が明白に巻き込まれる。そもそも、最初から女の子の顔をしたポニョのことを、宗介だけでなく大人も当たり前のように「金魚」だと認識している不条理さ。(トキばあさんは「人面魚」だって言ってたけど、普通に考えたら人面魚の範疇も超えてるよなあ)
巨大化したポンポン船が巨大ろうそくの動力だけで動くのだって物理的に無理っぽいし(まぁ魔法だからいいんだけど)、その船が元に戻るときにはなぜか、元々普通サイズだった帽子まで一緒に小さくなってしまう。たぶんここは意図的に辻褄を合わせていない。

案外、もうちょっとでコメディマンガに近付きそうなくらいに不条理の多い世界だ。人間と動物キャラが当たり前のように会話するマンガって割とあると思うけど、結構それに近いような。
それなのに、人の動きだとか物体の描写だとか、外見的にはジブリ作品らしい実体感を持っているし、セリフの中にも現実味の無さと生々しい現実感とが同居していたと思う。
「これは宗介が見ている夢の物語?」と仮定してはみるものの、それでしっくりくるような気がする部分もあるけど、5歳の子供の想像では及ばないであろう部分が残る。

そんな違和感についていくのに、無意識にすごく頭を使っていた気がする……。初めて眼鏡を作ったばかりの頃の、度の強さに慣れなくて目が疲れる感覚に少し似ていた。

超豪華B級アニメ?

映画のスタンダードな物語構造とも全然違っていて、総じて「見たことのないもの」を見ている感じだった。当然、最初から最後まで全然先が見えなかった。
最後は突き放すかのようにあっさりと幕が閉じる。スタッフロールまでもが「キャストもスタッフの個人名も制作会社の名前も一緒くたで五十音順にずらっと並ぶ」という異色のスタイルだから、まるで10分間の作品だったみたいに短いエンディング……。

めちゃめちゃだけど、面白かった。テレビで放送される時にもう1回見たい。
正直、魚の時のポニョは時々きもちわるかったけど……。僕の中での「かわいい」と「きもちわるい」の境界線も、波のように揺れ動いていた。

こんなB級映画並みに大胆な作品を、今の地位にあって堂々と発表した宮崎駿監督はすごい。
堂々とプロモーションした鈴木敏夫プロデューサーも共犯だっ!
じいさん達、(大人達に)悪いことしやがって……なんて風に思ってみるとなんだか可笑しい。

これだけでもよかった気がする余談

あ、あと、「絵本みたいだなあ」というのをずっと感じてた。
小さい子が観たら、もっともっと単純に夢中になれそう。

リアリティに関しては、三谷幸喜監督の「ザ・マジックアワー」の感じにも似てると思ったけど、この話をするともっと長くなるので割愛。佐藤浩市の演技力がすごいんだよ、という脱線話も合わせて割愛です。

おばあちゃん達が水に浸かった後元気になる流れは、映画「コクーン」かよ! と思った。分かる人だけ分かって。

空想アフターストーリー。

あの後、きょうだいみたいな形で同居する宗介とポニョ。そのうち自然とケンカが起きて、宗介がポニョのことを一時でも嫌いになったら、その時にはポニョは泡になって消えてしまうのかなぁ……。
幼い宗介の悲しい思い出。大人になったら、それが現実の出来事だったかどうかは忘れてしまうんだけど、ポニョと過ごした夢みたいな時間はずっと忘れない、みたいな。
そういうきゅんとする感じがけっこう好き。